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2009年4月 1日 (水)

聖書も神の力も知らない 1

今日から、シリーズで、
ある特殊な――もしかするとどこにでもありそうな――
教会の問題を指摘します。

偽装というのは、それが偽物であることを分かっていてするものだ。
偽物だと知らずに無邪気にそれを本物だよ、と宣伝するのは、
つまりは確信犯であって、偽装とは呼べないかもしれない。
ある意味で、その販売者は同情される立場であるように見えるだろう。
 
しかし、見る人が見るとそれが偽物だと分かるのに、
知識や経験がないがゆえに、「いや、これは本物だ」と思い込み、
本物として販売し続けたとしたら、話はまた違う。
さらに、本物の価値を貶めたという意味では、
それは決して軽い罪ではないと言えるのかもしれない。

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コメント

はじめまして、こんにちは
何でも、偽装する人がいるもので
「悪霊」を「聖霊」と偽装している人もいます。
http://ameblo.jp/rebanonn/theme-10010468416.html
ひどい話ですが、どうかご覧ください。
*印のある動画です、主と共にいられますように。

本人が偽装と意識している場合と、
していない場合とがありますね。
悪魔の試みは、巧妙ですから、
知恵と祈りとで見分けていきたいところです。
 
ところで、教会というところは、不思議なところです。
理想世界ではないにしろ、
やはりそれはキリストの体なのですね。
たとえ毒麦が蒔かれていようとも、
そして自分がその毒麦でないのか、点検しつつ祈りつつ、
教会の中で自分もまた磨かれていくというのはあると思います。
自らその教会を支えていく働きは、大切なものだと私は思うのです。

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