許された自覚が必要
教会というものが
自己実現の場、
そういう組織としてしか感じられない人がいます。
教会はただ、
許された人が集まる場所なのです。
もう少し正確に言えば、
許された人がつながっている様子を、教会というわけです。
許せないという状況が起こること自体、
明らかな矛盾です。
教会の中で、とんでもない勘違いをした人がいました。
しかし教会員はその人を許しました。
大いなる許しを与えられたのでしたが、
その人は、けろっとそれを何とも感じていませんでした。
いろいろな人が世にはいます。
そうしたタイプの人がいるということもまた、
教会の受容的な意味でそれはそれでよいのでしょうが、
問題は、
そういう人を指導的立場に無理矢理つけた「牧師」でした。
とんでもない勘違いをしている者同士が、
その教会をどんどん壊していったのです


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