クリスマスを狙う公教育
ある公立の学校が、
クリスマス礼拝の日に
ある行事を開くことにしました。
そのために、子どもたちは
十分な準備を重ねて
当日発表をするのだといいます。
あるクリスチャンが、
クリスマス礼拝という日にそれは困ると訴えました。
しかし、
そんな意味のある日だと気づかなかった、と
責任者は答えました。
しかし、十年前にも、
その責任者は、同じような訴えを幾度か聞いているのです。
クリスマス礼拝に、親しい保護者をお誘いすることすら潰されてしまっても、
そのクリスチャンは、耐えようと思いました。
自分の子どもが発表する機会を奪われても、
その日には休ませるしかないという結論を抱いていました。
日曜日の礼拝を守るために、
職業上も極度に不利な条件を呑んで
爪に火をともして生活しているクリスチャンだったのです。
公立の学校ですから、
何も宗教に手助けせよ、とは申しません。
しかし、わざわざ宗教の大切にするものを
潰すような営みを、公教育は、してよいのでしょうか。
それが可なら、
キリスト教信仰に反対する教育委員会や校長が
意図的にキリスト教会の特別にしている日を狙って
学校行事を組み込めば、
その教会の活動を妨害することができるでしょう
もし妨害する意図がないにしても、
あまりに無邪気に、信仰を苦しめることが
平気で行われる現実がここにあります。
しかも、「公的」に。
クリスチャンでない方には、
それほど大切にしているこの礼拝あるいはクリスマスというのが
ピンとこないかもしれませんが、
これはやはり一種の迫害行為につながらないでしょうか。
こうしたことは、日本各地で多かれ少なかれ行われていませんか。


お久しぶりです。
辛い状況ですね‥
俺は、幼、小、中、高、とミッションだったので
Christmasは文字通り、Christmasのミサでした。
信仰を持つ事は、反社会的な行為だと
俺は考えています。
今の日本で、キリスト者であるからと、殺される事など、有り得ないのですが
殺されないまでも
迫害を受けるのは
キリスト教が反社会的だからでしょう‥
こう書くと、キリスト者は悪者みたいですが、
悪者に今は成らないまでも、厄介な連中と感じる方々は存在し、社会もまたそう扱うでしょう
キリスト者の義が、社会の義と180度違うからなのだと感じます。
しかし、私達は耐え忍びますよね
そして
主がおっしゃる様に
主の名で迫害を受ける時には、喜びましょう
私達のNationalismは
天の御国に在るのですから
でも、この国がもっと優しい国である様にと
祈り続けています。
その、御家族は
辛い中に在っても
善い方を選ばれたのですね
その御家族に
主の慈しみが、より豊かに注がれますように
アーメン†
投稿: インマヌエル・マリア・ラファエル | 2008年11月 7日 (金) 22時43分
何も付け加えることがありません。
アーメン、アーメンです。
投稿: 管理人 | 2008年11月 8日 (土) 00時03分